10年かかって沼から抜け出した話。

特に意味はないけど、
自分の中の整理がしたくて書く。


10年思い続けてきた人のことを断ち切った。


言ってみれば沼みたいなもので、
正直、一生抜けられないと思っていた。
周りにもそう思われていたけど、
そんなことはなかった。


気持ちではなくて情しか残ってなくて、
それがSNSの投稿2つで砕かれるようなものだった。


わたしの10年って何だったんだろうとは思うけど。笑

 


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大学時代の大恋愛(1年半くらい)を終えたあとに
直接会ったのは1〜2回くらいで、
GREEを経由して出会った我々は
やはりネットでしか会話をしていなかった。


昔、教えた本を読んでくれたとか
昔、贈ったブックカバーをまだ使ってくれているとか、
些細なことが嬉しかった。


コロナ禍でうつ病になったわたしにとって、
頼れる人が本当に少なかった。
もともと友達は少ないタチだし、
このタイミングで1年付き合った彼氏と別れたので
連絡とりやすいリストにいた彼を
ここからずっと頼ることになってしまう。


このタイミングで頼ったからか、
それ以降、困ったら頼ってしまうように
なってしまった。


腐れ縁という言葉で片付けてしまうような関係。
わたしからしか基本は連絡取ることないし、
会うこともない。
たまにちょっと元気出るようなことも言われて、
絶妙にわたしの出力を調整しているような存在。
結局、ここに戻ってくるような感じだった。


ただの依存。

 


それと同時に、ちょっとわたしを焚きつけるというか
悔しいと思わせる言い方をするような人で。
付き合っていた頃なんかは
そういうのも力にしていたけど、
10年経てばただただ「何なん?」って感じで。笑


あとはTwitterのとある投稿を見た瞬間、
スッと体から冷めたというか。ドン引き。


それまで結構な信頼を置いていたけど、
人間として許せない域に来たので
気持ちを捨てました!!


最近は今までの10年が長すぎて
あまりにも長すぎて苦笑いしてしまうけど、
それでも毒が抜けたかのような気持ち。
ただの深い沼でした。
元カレ沼でした。


大抵のことは時間が解決するって
本当なんですね。
時間かかりすぎたけど。

30歳独身、宅建試験に合格した。

本当は書きたいことがいっぱいあるはずなのに、それがどんどんメモ帳に溜まっていくのに、文章にできなかった。
久しぶりに投稿しようとしたら、1年以上前の文章が最後だった。


お久しぶりです。


以前の文章は嫌いではないけれど、ドヤ顔して書いているのが見えるというか……それがちょっと見え隠れするので、これからは謙虚目で書いていこうと思います。

 


29歳春、うつ病が再発した。
病気との付き合いは大変だが、そうなることで見えることはあるのだな、と改めて思う。


今回は2度目ということもあり、早めに決断できたのが良かった。
1度体験しているので、あまりビビることはない。
いつかこの気持ちの波も、落ち着くことを知っているから。


その話はまた別の記事で書きます。

 


さて、今回は宅建試験の話をしていく。主にメンタル面の話である。
試験勉強など、実践的なことは書かない。
本当に合格ラインギリギリなので、実践的な話は聞かないでくれ。


ひとつ言えることは、吉野塾がめちゃくちゃ良かったので、良かったら検討してみて。
YouTube動画、めちゃくちゃわかりやすい。

 


話を戻そう。
当時のわたしは不動産の広告を多く扱う、小さな広告代理店に勤めていた。
宅建試験を受けようとしたのは、そのときの上司の勧め。ちょうど1年くらい前のことだった。

 


今回使用したのは通信講座、U-CANである。


f:id:suexxsf:20221210002856j:image当時使ったテキストたち


通信講座で合格した、と書くと継続できてすごいですねと言われそうだが、本当に大したことはない。
わたしも今まで4講座ぐらい、お金を払ったが身になっていないものがある。
これは通信講座あるあるではないか?(悲しいが)


そんなわたしが今回なぜ頑張れたかといえば、理由はたぶん2つ。


①不動産への興味 
職場に不動産の担当部署ができ、ちょこちょこ手伝うことで興味がわいてきたから。
広告を作っていたときもそうだが、わからないことがあまりに多い。


また資格を持つことの有利さも魅力だった。
やはり手に職は大きい。

 


②環境の変化 
今年の夏に職場を辞め、実家に帰って療養することになったから。
端的に言えば、つまり、暇だったのだ。

 

語弊がありそうなので一応 補足すると、前回のうつ病と比べればまだ動けた。

何か目標があると張り合いができるかも、と思ったのだ。
職場を辞める時点で勉強を辞めることもできたが、テキストもそこそこ進めていたし、何より今回はやり遂げたい気持ちがあったから、だろう。


不動産広告を作っているとはいえ、当時 理解していたことは5問免除に該当する、景品表示法くらい。
結局 職場も辞めたので登録講習も受けられず、50問受験の一般受験者となった。


民法は大学の法学の講義ぶりだったので、とても懐かしかった(しかし難しい)。
その他、勉強内容は法律が多いが、宅建業法などは楽しかった。


試験勉強は紆余曲折あった。

試験1ヶ月前に不安からうつ状態が続き、抗不安薬を飲み始めた。
1週間前に受けた模試は散々だったし、試験当日はその抗不安薬を家に忘れる始末。
本番の試験も失踪問題で頭が真っ白になるし、最後に替えた選択肢は替える前が合っていたという(笑)
そして没問(すべての選択肢が当てはまらない)が存在するとは、さすがにびっくりしました……


しかし、運も実力のうち。
あと北野天満宮での願掛けが効いたのだと思う!


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合格いただき、ありがとうございました。

 


今 思えば、仕事をしていた頃のわたしは、承認欲求オバケだった。
周りに褒められたい、認められたいという気持ちが強くて、その言葉で自分の立ち位置を把握していた。
上司にも「自信を持って」とよく言われたけど、それがなかなかできなかった。


以前、理系YouTuber・はなおでんがんのでんがんさんが、受験勉強や資格の勉強をすることについて、話している動画を観た。
その中で彼は「試験勉強が成功体験になってほしい」と言っていた。まさにこれである。


どうやら生きるということは、小さな小さな成功体験の積み重ねらしい。
昨日の自分と比べて成長したか、あの頃の自分より進んでいるか、というベクトルで測る。
そう考えると、わたしは結構 成長している気がしたのだ。

 


過去を振り返りすぎるわたしにとって、宅建試験合格は未来への第一歩。


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ある意味 生まれ変わることに近い。
まだ具現化していないけど、新しい何かを手に入れられる気がする。


もちろん、合格だけですべてが変わるはずはない。
実務経験が無いので、このあとは登録実務講習が待っている。
宅建士を名乗れるようになるには、まだ時間もお金もかかる。
資格をどう扱うかは、自分次第。


これは、進化であり再生の過程なのだ。

 


宅建を勉強して良かった。
合格できて良かった。
30歳独身、前を向いて進んでいます。

10年分の献血に思いを馳せる

今月で、献血を始めて10年が経つ。

 

きっかけは父親だった。
物心ついた頃から、父親はよく献血に行く人だった。地元のイオンに献血バスが来るというメールが届くたび、献血に行っていた。
そんな父親を見ていたからか、18歳の誕生日を迎えたあと、すぐに献血バスでの献血に挑戦した。

 

昔は本当に注射が嫌いだった。針先が見えると、怖くて怖くて仕方なかった。
入院していた頃の点滴も、予防接種も、逃げまくる。そして泣きまくっていた。
そんなわたしが、献血である。献血に、自らの足で赴くのだ。

 

初めての献血は、想像よりもスムーズに終わった。
確かに献血の針は太いけれど、そんなに苦手ではないかも、そのときに思った。


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大学に入学し、献血ルームの存在を知った。
仲良くなった友達が献血に行きたいと言い、ついて行ったのだ。
わたしはあいにくピアスを空けたばかりだったので献血には協力できなかったのだが、受付の方に献血推進のボランティアを教えていただいた。

 

この献血推進ボランティアとの出会いが、わたしの献血人生を変えたと言っても過言ではない。

 

そのボランティアは、その名の通り、献血を推進するものである。
皆さんも街中や学内などで、献血の呼びかけを見たことは無いだろうか? 
……それである。そのボランティアを、大学1回生の始めから4回生の卒業まで、じっくりどっぷり参加していた。

 

ボランティアに参加して、献血への向き合い方が変わった。
献血を必要としている方の想いを知り、どうにかそれを伝えたい。
特に献血者数が減っている、わたしたち若年層に届けたい。その一心だった。

 


成り行きのような感じで参加したボランティア活動だったが、4年間もハマったのは同じ意思で活動する仲間の存在があったからだと思う。

 

同じように献血推進活動をする団体が全国にあり、大抵は大学生だ。

大学2回生〜3回生の頃には、わたしも団体の中心メンバーとなっていた。


その頃に、中四国エリア内で同じ活動をしている仲間たちと、親睦を深める場が設けられた。

自分たちの団体がどのような活動をしているか、を発表するような会議などもあった。献血していただいた方への記念品などを、一緒に考えることもあった。
それら全てが新鮮で、非常に楽しかった。

 

 

今でも、当時同じ県内で一緒にボランティアをしていたメンバーよりも、中四国エリア会議で仲良くなったメンバーのほうが、仲良い気がするのは不思議なものである。

帰省して同窓会をするのは後者のほう。

ある意味、戦友のような意識があったのかもしれない。

 


……そんなバックグラウンドがあり、献血への想いは未だに強い。

そして今日、55回目の献血が終わった。
以前は成分献血もやっていたが、自分の体質や血管の細さから、いまは400ml献血のみでお願いしている。
自分の健康あってこその献血。無理はしない。

 

自分があの日一歩踏み出したことで、広がった世界。
これからも健康に気をつけて、献血を必要とする方へ少しでも助けになればと思い、献血を続けていく。

夢を見つけるまでの軌跡

皆さんには「夢」はあるだろうか。
わたしはこの間まで、本当に見つけられなかった。


好奇心旺盛。これは、わたしの特徴である。
興味があるものはすぐ試す。気になるものは、すぐに買ってみる。
これで家計は苦しんでいるけれど、それでも良いと思っていた。


気になるものは、気になったそのときが1番熱があるのだ。
あとはきっと、下がっていくだけ。


ほしいものはすぐ買ってしまう。
だから、「~を買うために頑張っている」みたいな人を見ると、いつも不思議な気持ちになった。買えば良いじゃん、と思っていた。
ほしいんでしょ? いま買わないと勿体ないじゃん。
ずっとそう思っていた。

 


数ヶ月に1度、職場で面談がある。
その際に聞かれて困ったことは、いつも同じ。
「数年後、こうなりたいとか、夢とかある?」という質問である。
面談のときにはごまかし続けていたが、ここでは言う。「ないですね」と。


なかった。
何でも勢いで手にいれてしまうから、逆に目指すものがなかった。夢などなかった。
そんな毎日で、何を目標に生きているのかわからなかった。

 


そんなときに、天狼院書店の存在を知った。
以前書いた秘めフォトの記事『秘めフォトは脱皮のようなもの』をきっかけに、天狼院書店に興味を持ち始めた。


その書店の名前は、数年前から知っていた。
いつか行きたい書店として、ピックアップしていた。


天狼院書店が他の書店との差別化しているところは、「体験型」というところだと思う。
わたしは秘めフォトから始まり、ライティング・ゼミ、フォト部……と、どんどん「天狼院沼」にハマっている気がする。


秘めフォトに参加しようと思ったのも、ほんの些細なきっかけだった。
初めて名古屋天狼院に行ったとき、書店内で掲示されていた女性の写真から目を離せなかったこと。
それほどまでに、魅力的な写真だった。

 


その秘めフォトでの衝撃的な、常識を覆すような体験のあと、ライティング・ゼミに参加した。
今まで書評は書いていたものの、1度きちんと勉強してみたかったから、タイミングはちょうどよかった。

 


そこで、4ヶ月の受講。16回の課題提出。
正直、課題はキツかった。
今まで自分の中でいつか書きたいと思っていたものは、ほとんど課題提出で昇華(消化)していった。見事なネタ切れもあった。


しかしライティング・ゼミでは、久しぶりに誰かと切磋琢磨できた。 
そして励まし合える場所だった。


また、周りに読んでくれる友人がいたのもありがたかった。
何度か記事に登場している友人はもちろん、相談できる友人もいた。
こんな形はどう? これもおもしろいんじゃない? と話しながら試行錯誤できた。
わたしは周りに恵まれていることを、実感できた。


文章を書いているうちに、自分の得意なジャンルにも気づく。
結局 ほとんどエッセイを書いていたのだが、その中でもこんな書き方だと筆が乗りやすいとか、相手に気持ちが刺さるのか、読みやすいのか。
そういうことを考える機会ができたのは、本当に貴重な経験だった。


講師の先生方はもちろん、一緒に受講していた同期の方々には感謝が止まらない。
今後とも、ぜひ仲良くしていただけると嬉しい。

 


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そしてそのライティング・ゼミで出会った、わたしの夢。
「いつか、自分の本を出すこと」。


思ってしまったら、そう願ってしまったら、もう辞められない。


あぁ。やっぱりわたしは『スロウハイツの神様』(by辻村深月)に影響された人間だ。

 

わたしの中の環がこう叫ぶ。

「世界と繋がりたいなら、自分の力でそれを実現させなさい」


「(前略)私の友達はみんな必死だわ。自分にとって何が武器になるのか。それを考えて、小説を書いて、漫画を描いて、必死に世界に関わろうとしてる。これが自分の武器なのだと考え抜き、これで訴え掛けることができないんだったら、本当に自分の人生はどうしたらいいんだって、一生懸命なのよ。世界に自分の名前を残したい、それを一度夢見てしまった以上は、と今日も机に齧りついている」
(中略)そうしながら、生きていく。この方法で世界に関わりたいと望んでしまったから。

 

この言葉を思いだし、奮い立たせるのだ。


そして数ヶ月前。
10年近く推し続け、応援し続けていた辻村深月さんからお手紙とサイン本をいただいた。
嬉しくて嬉しくて、涙が出た。

「好き」は人を引き寄せ、そして「好き」は立派な原動力になる - Bon Voyage !


そのお返事に書いてしまったのだ。
改めてわたしも、文章を書き始めたと。言ってしまった。


不言実行を美徳とするわたしのボス・環にはきっと怒られるだろう。
しかし、この夢ができたおかげで、道を見つけたのだ。これが生きる支えになる。

絶対に掴んでみせると、ここで宣言させていただく。


 

普通、になりたかった。

普通、って何だろう。
うつ病になってから1年と少し。その間、ずっと考えていたことだ。


例えば、発作のように来る不安の波は、うつ病由来のものなのか。
慢性的な仕事に行きたくない気持ちや、雨だと気持ちが沈むのも、うつ病由来のものなのか。
その区別が全くわからなかった。


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もともと気分の浮き沈みが激しかったタチではあるし、それが当たり前だったところに、病名がついた。


もしかしてわたしはやっぱり、普通ではないんじゃないか。
世の中の人はみんな、このくらいの悩みや不安は簡単に解消できているのでは。
そのくらいにはわからなくて、土日休みのたびになかなか動けない自分に、さらに愕然としていた。


わたしには、うつ病になってから特に頼っている親友が数人いる。

近況報告がしたくなり、LINEをする。


そのうちの1人は、男友達だ。

正確には元彼ではあるけど、本人が頼っていいって言ってくれている間は頼らせてもらう。そんなスタンスである。


最近気づいたこと。メンタルの浮き沈み。
仕事の悩みや相談事。
そんなことをつらつら、LINEで伝えさせてもらっている。


うつ病の特徴は、頭の中でぐるぐる考えすぎてしまうこと。
だから、定期的に彼に聞いてみるのだ。


そこで知ったことは、「世間の人でも土日の終わりかけはサザエさん症候群になるよ」「いつでもハッピーじゃないし、失敗すると落ち込む」という、周りから見れば本当に当たり前のようなこと。


わたしの中で、彼は「世間」という位置付けなのだ。


「大丈夫、あなたも周りから見れば普通の人間だよ」と言われることが、どれだけ前向きになり、勇気付けられることか。
いま、この言葉を書きながら、思い出して泣くような、そんな言葉なのだ。


普通、と言われたかった。
早くこの病状から、離れたかった。


そんな1年の格闘が、ようやっと終わりそうである。

 

YouTubeは、救いになりうる

わたしの日課に、YouTubeを見ることがある。


毎日毎日飽きずに見続けているYouTube
数年前までは、YouTubeなんてMVを見るためのものだと思っていた。


きっかけは、とあるミュージシャンがYouTubeを始めたことだった。

【架空請求】 RADWIMPSの曲で架空請求業者をボコボコにする! 【ノンラビ】 - YouTube

男の子3人で、男子校の続きみたいな感じで広がるやりとりが最高で、何度も元気付けられた。

彼らのチャンネルから派生して、コラボしたYouTuberを探してはそのチャンネルを見るのを繰り返した。


そこで見つけた、推しYouTuber。
東海オンエア、である。

東海オンエア - YouTube

 

YouTubeを見ている方で知らない人はいないだろう。
チャンネル登録者数580万人超え。総再生回数83億回以上。
6人のメンバーのうち、5人は愛知県岡崎市在住(1人は既婚者のため、東京と岡崎を行き来している。)で、地元で撮影するスタイルである。


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東海オンエアを見始めたのは、たしか2年半くらい前だった。
その時点で登録者数450万人くらい。
週6回、多種多様な動画を挙げてくれること。そこから元気をもらい続けている。


うつ病になってから変わった世界 というエッセイでも書いたが、昨年の今頃からずっとうつ病と格闘している。
特に休職した6月~9月末までの間、毎日毎日、東海オンエアの動画を見ていた。
古い動画も、お気に入りを何度も何度も、セリフを覚えるほど見直したものもある。


毎日バカみたいに大笑いして、あぁ、わたしはきっと明日も生きていける。
そんなふうに元気をもらえたのだ。


東海オンエアはメンバーが6人いて、それぞれがYouTuber以外にも音楽活動やアパレル、カフェ経営や本の執筆など、幅広いジャンルで活躍している。
そして彼らがわたしと同年代、つまりアラサーでこんなにバカなことを真剣にやっている姿が、輝いて見えるのだ。


メンバー6人のうち、5人は高校時代の同級生。1人はリーダーと同じバイト先だった。
バランスがとれていて、奇跡のような組み合わせ。


シリーズものになっているのは、寝たら即帰宅の旅、手作りイカダで川下り、旅行の旅、など多くはないが、特にコロナ禍で旅行できない今は、旅行の旅や寝たら即帰宅の旅の企画を何回見ていたかわからない。


憧れの選手に会ったり、ナゴヤドームで始球式したり、本当に本当に、YouTuberは夢がある。
言ってみれば、彼らは成金集団かもしれない。チャラついた大学生みたいに見えるかもしれない。


それでも、視聴者には見せない、影の努力がたくさんある。
そして撮影、企画、編集までを自分たちの手で行い、提供する。
本当に尊敬しかない。


今日の動画も笑わせてもらった。
明日からの仕事も頑張るか。
そんな気持ちにさせてくれる、東海オンエアというYouTuberに感謝である。

そして改めて、YouTubeというコンテンツは救いになりうると思うのだ。

本は人生の道標となる~作家たちとの「交際履歴」~

※作家さんのお名前がいっぱい出てきますが、敬称略です。ご了承ください。

 

わたしにとって、読書は娯楽のひとつである。

本を手に取りページをめくるだけで、自分が体験しなかった人生を疑似体験できる。

こんなに手軽であり、のめり込める趣味はなかなかないのでは? と思う。


それと同時に、本は幾度となくわたしを救ってきた。


副題の「交際履歴」という言葉は、『さがしもの』(角田光代 著/新潮文庫)という短編集のあとがきで著者が選んだ表現である。

【恋人はひとりであることがのぞましいけれど、本の場合は、3人、4人、いや10人と、相性の合う「すごく好き」な相手を見つけても、なんの問題もない。そんな相手は増えれば増えるほど、こちらはより幸福になる。】と書かれている。

そういう意味で聞いてほしい。

 

これは、わたしと作家との交際履歴を綴ったお話。

そしてわたしの道標になった本を紹介していく。

 


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物心ついたときには、すでに本を読んでいた。

別に両親が読書家だったわけでもない。どちらかというと、両親は本を読まない人だった。

周りに本がある環境でもなかったけれど、わたしは引き付けられるかのように、小説、とりわけミステリー小説を選び、読み続けた。


絵本以外で最初に読んだ記憶があるのは、『にんきもののひけつ』という本だった。のちに森 絵都 著だと知った。このシリーズは気に入っていたので、今も実家にあるはず。

そして昼休みは図書室で、伝記か青い鳥文庫を読んでいるような小学生時代を送った。

 

中学生になったときには近所のTSUTAYAで『つきのふね』(角川文庫)という小説を買ったことが、本格的に本を読み始めるきっかけになった。ちなみにこの小説も、森 絵都作品である。

その日、『つきのふね』という本を手に取ったのも、ただの偶然だった。

わたしの作家との交際履歴は、森 絵都から始まっている。


森 絵都といえば、児童小説、青春小説の名手だと思っている。『DIVE!!』(角川文庫)や『カラフル』(文春文庫)は不朽の名作である。

数年前の作品だが、本屋大賞2位に輝いた『みかづき』(集英社文庫)という長編小説もすばらしかった。めちゃくちゃ感動した。

 

そのあとに読み始めたのは、東野圭吾。確か中学2年生のときだった。

東野圭吾という作家は偉大だ。様々な場所で見るキャッチコピーだが、まさに「日本を代表するミステリー作家」である。


彼の小説はよく映像化され、最近では舞台化もされている。実際に読みやすく、読者を本に没頭させる力があるように思う。

今は文系ゆえ『ガリレオ』シリーズ(文春文庫)の専門的な部分がさっぱりわからないが、来世は理系に生まれ変わって、もう少し楽しんで読むのが夢である。


大学時代、ビジネスホテルのフロントのアルバイトをしていたときは、『マスカレード・ホテル』(集英社文庫)がバイブル本だった。

表紙に採用されている、小説の舞台であるロイヤルパークホテルにも行ったことがある。わざわざ表紙と同じ角度で、文庫とホテルのロビーを一緒に写真に映すなどして遊んだ。


中でも加賀シリーズが好きで、東京へ遊びに行くたびにいわゆる聖地巡礼をしていた。

人形町もよく歩いており、小説の舞台になったお店に行けるのは楽しい。そして日本橋麒麟像は、見上げるたびに(勝手に)感極まってしまう。


ちなみに隠れた名作だと思うのは、『むかし僕が死んだ家』(講談社文庫)である。

 

高校時代は、村山由佳作品を読み始めた。

おいしいコーヒーのいれ方』シリーズ(集英社文庫)も、数年に渡って追いかけてきた。

昨年夏に完結し、安心した。ショーリ、かれん、本当にお疲れ様と言いたい。


村山由佳は最近、官能をテーマにした小説をいくつか書いていたが、それを読んで自分を重ね合わせたこともある。

当時コンプレックスだった「性欲の強さ」で同じように悩んでいる人がいることがわかった。

主人公のように奔放に生きようとは思わないけれど、少し気が楽になったこともある。

 

「好き」は人を引き寄せ、そして「好き」は立派な原動力になる という記事で書いた通り、高校時代に辻村深月という作家に出会い、読みこみ、さらにはのめり込み、今に至る。

そしてファン同士と繋がりながら、わたしは「推し」への向き合い方を知った。


また、「かがみの孤城」と言う名のセラピー という記事でも書いたように、うつ病真っ只中の自分と不登校の主人公・こころを重ね合わせ、舞台で号泣した。


スロウハイツの神様』(講談社文庫)という小説を読んでは、このままじゃダメだと自分に喝を入れられた気持ちになる。

何度も読み返した小説は、登場人物に「久しぶりだね、また会ったね」という気持ちにすらなる。登場人物に血が通っていると感じられるのだ。

 

大学時代には、原田マハの小説にハマった。

『本日は、お日柄もよく』(徳間文庫)という小説で、力強い言葉をもらった。その他にも、アート小説のみならず、史実とフィクションを組み合わせることが本当に上手。


特に『翼をください』(角川文庫)という小説が好きで、読み始めたら冒頭50ページくらいですぐに涙ぐんでしまう。

女性飛行家である主人公・エイミーの強さに憧れ、わたしも元気づけられるのだ。


アート小説は実に秀逸。特に『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)は、アートを敬遠してきた人にこそ読んでいただきたい。わたしはここから印象派の沼にハマった。

アート作品そのものだけではなかなか感じ取れないものがあるが、その制作背景や人となりを知るだけで、一気にアートに深みが出る。名前を聞いたことあるくらいの画家が、一気に親近感を持てるようになる。本当に不思議なことに。

 

以上が、わたしの思い入れのある作家たちとの交際履歴である。

これからもどんどん好きな作家は増えるだろうし、それに伴って視野も広がるだろう。

また新たな人物の人生を疑似体験できるはずだ。


最初に取り上げた『さがしもの』という短編集には、本にまつわる様々な物語が収録されている。

あらすじに書かれた【無限に広がる書物の宇宙で偶然出会ったことばの魔法は、あなたの人生も動かし始める】という言葉がまさにその通りで、わたしの人生も本で彩られている。


本を読み始めて20年ほど経った今ではもう、本がなかった人生は考えられない。

人生の岐路にあるのはいつも本だった。何度、本に救われたかわからない。

そのくらい、本はそっと隣にいてくれる、そんな道標のようなものだった。

 

これからの人生も、きっと転換点のようなものはいっぱいあるだろう。

それでも、なんだか大丈夫だと思えるのは、今まで支えてくれた本があるからかもしれない。


今まで出会い、交際履歴の中に入った作家さんたちに最大限の感謝を込めて。