今こそ、生理の話をしよう~わたしの婦人科受診記録~

女性の人生に付きまとう、「生理」という問題。

なかなか語ることができず、苦しんでいる方もいるのではないかと思う。

数年前のわたしも、その一人だった。


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以前、 うつ病になってから変わった世界 という記事で自分の経験談を書いた。

そのときに読んでいただいた方が、記事から学びがあったと教えてくれた。

そのことを思い出し、何か伝えられるかもしれない……と考え、今回生理の話をしようと決意した。


わたしが最近、よくかかっている病院といえば、精神科の他だと婦人科。月1回~2ヶ月に1回は受診している。

婦人科って敷居が高い、わかる。行きづらい、それもわかる。

けど行ったほうがいい気がする……そんな方にはぜひ読んでほしい。

苦しむ女性だけでなく、もちろん男性にも。

 

わたしは前々から、生理不順気味だった。

何かがおかしいと気付いたのは、20歳頃だったと思う。生理が半年ぐらい来ない。

一応、妊娠検査薬も使った。しかし妊娠でもなさそうだ。


当時住んでいた家の徒歩圏内に総合病院があったので、そこの婦人科へかかることにした。

院長である婦人科医から診断された病名は「多嚢胞性(たのうほうせい)卵巣症候群」。

「妊娠はしづらいかもね」と言われたことは、一生忘れないだろう。


この病気……というか、どちらかというと体質のようなものらしいが、卵巣に男性ホルモンがたくさん作られてしまうせいで、排卵しにくくなる疾患を指す。

排卵されない卵胞は、卵巣にとどまるため、たくさんの卵胞(嚢胞)が見られるのでそう呼ばれるらしい。

症状としては無月経や月経不順、にきび、多毛、肥満など。排卵していないため、不妊の原因になることもある。

(参考:http://www.shimane-u-obgyn.jp/patient/patient-other/133/141/149 島根大学医学部産科婦人科ホームページ)


つまり、当時のわたしは、自力で生理が起こせなかった。そこで治療を開始した。

同じ病気の方が増えているらしく、女性の20~30人に1人の割合で現れるそうだ。芸能人の方でも、矢沢心さんを始めとする様々な方が公表されている。


しかし大学時代のわたしは、途中で通院をやめてしまった。

行かなきゃとも思うのに、就活や卒論を言い訳にしていた。

 

その次に婦人科に行ったのは、社会人になってから。アフターピルをもらったときだった。

もちろん既往歴も話した。

そのときの医師が低用量ピルを勧めてくれて、そこから5年くらいは毎日1錠ずつ飲んでいる。


引っ越しなどで婦人科は変えつつ、今の病院を初めて受診したとき、ちょうど子宮頚がんの検診があった。

既往歴を伝えて内診をしてもらったら、「(この病気は)もう治っているよ、これはもう過去のことだね」と言っていただけたのが本当に嬉しかった。

 

そこから、低用量ピルの中でも月経困難症向けのピルに変更した。

もともと生理痛がひどく、それと同時にPMS(月経前症候群)もひどい傾向にあったので、今はだいぶラクになった。


低用量ピルにわたしは救われたわけだが、ネットなどではよく叩かれやすい。

原因の根底にあるのは、そこまで理解が追い付いていないせいだと思っている。

ピル=避妊目的。ビッチ(※わざと、この言葉を使いました)だけが飲むもの、そういう誤った認識が現代にも蔓延っているようで、ただただ悲しい。


もちろん避妊の目的もある。

それ以上に、生理を調整したり、生理痛を緩和させたり、といった治療目的のものでもある、ということは頭の片隅にでもあると嬉しい。


もちろん、低用量ピルのすべてが良いというわけでもない。

血栓症という副作用のおそれはあるので、定期的に血液検査を行ってもらっている。

 

最近見ているYouTuberの方が昨日、生理痛を体験してみるという企画をやっていた。(参考: https://youtu.be/reChII_KIO4 アイドルのいる生活)


動画に登場する男の子が言っていたが、多分、男性はこういう機会でもないと「生理」について考えないと思う。

生理が起こるのは、体の仕組みとして女性だけ。男性には、なかなか伝わらない。また、生理痛が軽い方には、重い方の気持ちがわからないこともあるはず。

大事なのは、相手を理解しようと思うことだろう。


10代の頭から50歳頃の閉経まで、ほぼ毎月起こる。

生理痛がひどいときは、女性に産まれてきたことを恨んだこともある。

下腹部の不快感と、物理的な痛み(頭痛、腹痛、腰痛など)、そして精神面も安定しなくなるのだ。


もちろん、人それぞれで症状は異なる。

軽い人もいれば、重い人もいる。先月は軽かったけど、今月は重いこともある。

一概には言えないけれど、痛みを我慢している方、生理の回数が明らかに多い方や少なすぎる方など……ぜひ、婦人科へ行ってみてほしい。


内診が怖い方も、多分必要に応じてしか実施されないと思うので、それについては婦人科医に相談してほしい。

……と言いつつ、わたしも未だに内診は苦手である。あれは慣れないなぁ。

 

この記事が、どこかで悩んでいる人に届くことを願って。

 

初めてのフォト散歩と、そこから広がる景色

5月5日、ゴールデンウィーク最終日。

久しぶりに名古屋天狼院書店へ赴いた。


ライティング・ゼミを受講しているおかげなのか、天狼院書店には(勝手に)親近感を覚えているものの、実は店舗に向かうのは4ヶ月ぶり。

今年始めに衝撃的な体験をした、秘めフォトぶりだった。


「秘めフォト」は脱皮のようなもの という記事でも書いた通り、秘めフォトをきっかけに前向きになり、自分を好きになれた。

そして今はライティング・ゼミを受講することで、今まで考えていた「文章を書くこと」とは違った観点でライティングのことを捉えられている。


そうやって、天狼院書店のイベントやゼミに参加するたびに、既存の考え方をいい意味で壊される。

今までは当たり前に受け入れていた思考や、ものの見方が変わっているように感じるのだ。


さすが、【「本」だけでなく、その先にある「体験」までを提供する次世代型書店】、と堂々と謳っているだけのことはある。

 

秘めフォトが最たる例なのだが、基本的にわたしは撮られる側に立っている。

自分で写真を撮るということには、正直、全然興味がなかった。


例えばランチの写真を撮るのも、Foodieというスマートフォンのアプリ一択。

そのアプリ内のフィルターを変えて撮るだけで、満足していた。

Instagramを始めて5年ほど、とにかくインスタ映えが狙えたらそれでいいと思っていた。


そんな矢先に見つけた、名古屋天狼院のフォト散歩企画。

普段ならあまり引き寄せられないはずの、写真にスポットを当てたイベント。

それなのに気になったのは、「スマートフォン限定回」というタイトルだったから、だと思う。

 

わたしの手元にあるカメラといえば、CASIOのコンデジのみ。

周りが一眼レフやミラーレスを買ったと聞くたび、そもそも一体どう違うの? コンデジで、いや、スマートフォンで充分じゃない? 今まではそう思っていた。

わたしのスマートフォンSONYXPERIAだし。安心安定の画質だもん、と。


これは完全に偏見だが、本格的な一眼レフやミラーレスを買った人は、なぜか上から目線で来る気がして(※本当に偏見です)、少し拒否反応を示していた。

周りが本格派なのに、自分だけコンデジだとおこがましいし。

しかし今回はスマートフォン限定回と聞き、それならわたしでもいけるかも…! と思い、参加を決意した。

 

その日はあいにくの雨。

名古屋天狼院のある久屋大通公園や、地下にあるセントラルパークという専門店街、オアシス21など……を歩きながら、スマートフォンで撮影した。

無料のアプリ・Lightroomでの編集・加工も教えていただき、どんどん楽しんでいる自分がいた。


撮影しているうちに、日常のあらゆるものが被写体になるのだと気づいた。

今までだったら見逃していた、花壇の花。植物。専門店街の店の並び。地下鉄の改札。

当たり前のような背景全てを、写真として切り取って残すことができるのだ。


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今までも鮮やかな色はこの世界にあったはずなのに、わたしはそれをずっと見逃していた。

 

もっと味がある写真を撮りたい。フォト散歩のあと、そう思った。

このイベント参加がきっかけでカメラに興味を持ち、ここ数日、ずっと自分に合うカメラを探していた。

一眼レフよりは、持ち歩きやすいミラーレス。初心者でも扱いやすいもの。

ネットで調べ、さらには家電量販店で実物に触れてきた。

そして決めた。Canonのミラーレスを、買った。


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これまでのわたしも、ほしいものを我慢できないタチだった。

楽器も財布も腕時計も雑貨も、勢いのまま買っていた。だからお金が貯まらないのだけど。笑


今回もそう、勢いだ。

お金を払ったのだから続けるという意思だけは、ここに記しておく。

 

今月末には、フォト散歩のときに同じく1人参加だった方と一緒に、フォト部基礎講座に参加する。

フォト散歩のあとに、名古屋天狼院のこたつ席で仲良くなったのだ。


こうやって、偶然その日に天狼院書店で集まった、という共通点だけで広がる人脈も楽しい。

秘めフォトのときもそうだった。同じ回に参加した方と、Facebookで繋がっている。

 

きっとこれからわたしは、カメラ沼に落ちるのだろう。

撮る側のポイントがわかれば、自分が撮られるときにも活かせることがある気がする。

いつかポートレートも撮ってみたいし、撮られたい。


日曜日の夜に勢いで買った、ミラーレス。

これからわたしに、どんな景色を見せてくれるのか。

新たな世界の入り口に立った今、とにかくわくわくが止まらない。

 

うつ病になってから変わった世界

 

※実体験です。

わたしの身に起こったパターンであり、他の方では異なる場合が多いと思われます。

センシティブな内容になりますので、苦手な方はお気を付けください。


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昨年5月。

ゴールデンウィーク前、不眠に襲われた。

せめて睡眠薬を、と思い、精神科へ向かった。


うつ病、ですね。なるべく早く、お仕事をお休みすることを勧めます」


いくつか質問されたあと、そう告げられた。


うつ病

呆気にとられた。


正直、自分がそんなに弱いとは思っていなかった。

今までも大変なことはいくつもあったけど、それでも乗り越えてきた。

そのくらいの自負はあったのだ。

 

しかしながら、言われてみれば、予兆のようなものはいくつもあった。


コロナ禍での自粛。

旅行好きなわたしにとって、家にいることを余儀なくされたのは、確かにストレスだった。


仕事での異動。

以前の部署に戻るという辞令が出て、目まぐるしい仕事量に追い付けなかったこと。

慣れないテレワークも要因のひとつだったと思う。


参加しているボランティアの会議が、うまく進まなかったこと。


そして、当時付き合っていた彼氏とコロナ禍を機に喧嘩が続く状態だったこと。


それらすべてが、ゴールデンウィーク前に重なった。

 

仕事やボランティアを始めとする、やらなければいけないことが目の前に積み上がっている。

それなのに、うまく処理しきれないのが苦しかった。


しかも、やらなければいけないことの大半は、自分でやると決めたもの。

自発的に始めたことをこんなところで投げ出せない、という責任感もあった。


そうやって何とか頑張って積み上げてきたものが、目の前であふれて転げ落ちた音がした。

 

結果的に、6月から4ヶ月間休職させてもらった。


1日中、何もせずに、毎日が過ぎていく焦り。

誰とも話さずに、YouTubeを見るだけの日々。


決まって連絡をとる人も少ない。

そして、朝起きるたびに感じる絶望。


あぁ、いまわたしが孤独死したら誰が気づいてくれるのだろう。

そんなことまで考えていた。


そのくらい、死というものがすぐそばまで近づいているのを感じていた。

 

それでもどうにかしないと、もっと落ちていく一方。

まずは家から出て、散歩することから始めた。


その次に、毎日に生産性がないことに気づいた。

その日を生きた証として、何か、ものを作りたくなった。

当時、近所のイオン内の書店で展開されていた、3Dパズルを手に取り、無心で作り始めた。

そのあとは刺繍にハマり、手を動かすことが楽しくなった。


うつ病というのは、思考がぐるぐる回り、止まらなくなることが多い。

だからこそ、手元を動かし、目の前のことに集中する時間というのは、うつ病にはとても良いらしい。

2週間に1回の通院で、「今週は刺繍をしていました」などと主治医に報告すると、「それは良いことですねえ」と褒めてくれるのも、なんだか嬉しくなった。

 

他にも、うつ病になったわたしを救ってくれたのは、小学生のときからの付き合いである本と、大学時代からの親友たちだった。


今まで、自分の交友関係など大したことがないと思っていたけれど、ピンチのときに話を聞いてくれて、助けてくれる親友がいるだけで、わたしの人生は悪くない気がした。


逆に周りの人がピンチになったら、きっと手を差し伸べられるだろう。

 

世間一般でも言われているように、やはり時間が解決するということはあるようで、休職と服薬で以前よりも良くなった。


随分 人間らしく生きられるようになり、少しずつ段階を踏んで復職にも成功した。

もう復職して半年だ。

 

それでも、ある日突然 不安は襲ってくる。

今でもたまに、発作かアレルギーのように、不安が一気に押し寄せてくる。


いつかは収まることを知っているから、親友たちに何とか支えてもらっている。

本当にありがたい。

 

少し前に調子が良くなって減薬した。

そこから2ヶ月。今も気分はまだまだ落ちこみやすい。

低気圧など、外的要因も含まれると、より悪化する。


1度良くなってまた落ち込むというのは、歯がゆいし、悔しい。

そんなときに親友に「ずっとベストプレイが続くわけないじゃん」と言われ、ハッとした。


うつ病の再発率は、50%以上とも聞く。

やはり焦らず、ゆっくりじっくり治すしかないのだろう。

 

うつ病を患って、世界は変わった。

人間はたぶん、自分たちが想像しているよりも何倍も脆いのだ。


体は資本であり、健康は第一。

健康でなければ何もできない。

そんな当たり前のことを思い知った1年間であった。

 

世間では未だに、うつ病はメンタルが弱い人という位置付けが強いはず。

精神論で論破しようという人もいるだろう。


しかし残念ながら、うつ病の症状を自分ではコントロールできない。

渦中では、自分が自分ではないように思えるのだ。

例えばうつ病を患った方が周りにいる場合、そのことを少しだけ頭の片隅に置いていただけると嬉しい。

 

今も1ヶ月に1度、通院している。

いつかまた元気に生きていけますように。

そう願い、今日も1日1日噛みしめながら生きる日々である。

 

 

「手書き」で文字を書くことは、歩くことに似ている


「手書き」で文字を書くこと。

日常的にそのような機会があった学生時代とは異なり、社会人になってからはパソコンやスマートフォンに頼りきりになっている。


文明の利器に助けられている点はもちろんたくさんあるが、普段から自動変換の恩恵に預かっているせいか、特に漢字を忘れてしまう。

手書きした際に、どんな漢字だったかなと考え込んでしまうことも少なくない。

皆さんはそんな経験、ないだろうか?

 

昔からわたしは、文字を書くことが好きだ。

小学生の頃は実家の隣に住む、父方の祖母に毛筆と硬筆を習っていた。

弟や再従兄弟(はとこ)と一緒に、切磋琢磨していた。


通信のようなシステムで、毎月の課題提出に向けて練習した。

そして、その2ヶ月後の本誌に課題の合否が掲載される。


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よくお名前を拝見する上位常連の方々を、勝手に目標にして練習に励んだ。

また審査員の先生方の中でも、好みの先生の字を研究するなど、小学生なりの楽しみ方を見出していた。


はね、はらい、とめなどは基本的なことではあるが、その字をいかに綺麗に、いかに読みやすく見せるか、という角度からも勉強できたのは、大きな収穫だった。


しかし当時は、なかなか昇級試験や昇段試験に合格できず、泣いてばかりだった。

それでも何とか中学2年生まで続けて、6段という段位をいただけた。

合格を目指して練習を続け、そして成果を出せたことは、わたしの自信となっている。


もちろん自分の力だけでは、ここまで到達できなかっただろう。

祖母が書道の師範代を持っており、教えてもらえる環境にあったこと。

その祖母に習わせようと考えた両親にも感謝である。

 

中学2年生まで習ったあとは、なかなか再開するタイミングもなく、ここまで来てしまった。

それでも年末年始に帰省したとき、弟と「今年も書いとく?」と顔を見合わせて祖母宅へ向かう。その勢いのまま書き初めを書くのも、また一興である。


今では、近所の子供たちが祖母宅で書道を習っているそうだ。

そう楽しそうに話してくれる祖母を見ることができて、わたしは嬉しくもあり、なんだか誇らしい気持ちにもなる。

 

大学3回生の就職活動のときに、字を褒められる機会がぐんと増えた。

わたしが就職活動をしていた頃は、手書きでエントリーシートや履歴書を書くことが多かったのだが、正直 面倒に感じたこともある。

Wordで書けばdeleteボタンですぐに消せるものも、手書きだと修正テープを使うわけにもいかず、結局は書き直しとなる。


しかし、とある企業の面接の際、人事担当の方に「今日の応募者の中で、あなたの字が1番綺麗で印象に残ったよ」と言っていただいたときには、思わず顔がほころんでしまった。


綺麗な字が書ける、というのは自分が想像している以上に、他者からの評価に直結すると認識した出来事だった。

 

昨今の通信講座や、書店に並んでいる本でも「ペン習字」や「字を綺麗に書く」ものが多く見られる。

冠婚葬祭の御祝儀袋など丁寧に字を書く機会があるためか、一定の需要があるということだろう。


わたしは年賀状を出すのも、文通をするのも好きなのだが、必ず相手の宛名面は手書きで書く。

年賀状ならば、パソコンで宛名面を印刷することも多いだろう。確かに、その方が早いし、ラクだとは思う。

それでも手書きで書く理由は、相手への気持ちを込めたいからだ。


その宛名を書く際にも、どのような書き方をすればこの字が整うのか? メリハリをつけるには、どの部分を強調するか? どうすれば美しく見せることができるのか? を考えながら書く。


少し大げさな言い方だが、こうやって手書きで書いていくうちに「文字の魅せ方」がわかってきた。

そして手書きで文字を書き、言葉を贈ることが相手へのプレゼントにもなりうるのかもしれない。

 

「手書き」の文字は、歩くことに似ているように感じる。

前者は、パソコンやスマートフォンといった文明の利器に出番を奪われてしまいつつある。

後者も、車や公共交通機関といった、わたしたちの生活から切り離せない便利な手段に、取って食われているように思う。


書くことも歩くことも、古くから親しんできたことであり、淘汰されることはまず無いだろうが、手書きで文字を書く機会が減っているのはなんだか悲しい。

ちょっとそこまで散歩に出掛けるのと同じように、まずは手帳や日記といった身近なもので、日々、手書きで文字を書くことを勧めたい。


自分の身体を使って、歩を進めること。

そういった能動的な営みが、なんだか尊いものに思えるのだ。

 

 

今だからこそ、故郷に思いを馳せる~四国は魅力の宝庫~

世間はゴールデンウィーク真っ只中。

今年は、昨年以上に外出がしづらい。もちろん要因は、コロナ禍の自粛である。


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普段なら年に2回ほど帰る地元にも、1年ほど帰省できていない。

そのせいか、今は特に家族や地元、地元の友達が恋しい。


今この記事を読んでくださっている皆さんの中にも、故郷に残してきたもの・人に、思いを馳せる方もいるのではないだろうか。

普段はあまり考えることもなかった、故郷の魅力などについて考えてみようと思う。

そして、同じく帰省できず悶々としている方へ、何か伝われば嬉しい。

 

わたしは、四国・愛媛県出身である。18歳のとき、大学進学のために高知市へ移住。

社会人になるときに愛知県へ。今は、名古屋市内に移り住んでもう3年近く経つ。

地元を離れて10年以上。ずっと一人暮らしだ。


わたしの中で故郷と呼べる街は、愛媛と高知である。

四国は、近県以外の方だとなかなか来づらい場所だと思う。移動時間もかかるし。

それでも、せっかくならばこの自粛期間に、四国の良さを知ってもらいたい!

四国は、魅力の宝庫なのだ。

 

わたしの故郷は、愛媛県の東部。伊予の東部ということで、東予(とうよ)と呼ばれる地域である。

松山市など中央部は中予(ちゅうよ)、南部は南予(なんよ)と呼ばれる。


おもしろいことに、愛媛県内でも方言に違いは出る。

わたしの肌感覚として、南予出身の方はおっとりした喋り方をする。


わたしの生まれ育った東予は早口で、まくし立てるような喋り方の人が多い。

喧嘩をしているみたい、と言われたこともある。お世辞にもきれいな方言とは言えない。

それがもしかしたら、愛媛の有名なお祭り文化に繋がっているのかもしれない……!

 

愛媛には様々な魅力がある。

10月には各地で、五穀豊穣を願ったお祭りがある。それぞれ特色があって、非常におもしろい。太鼓台やお神輿、だんじりなど、本当に各地で様々である。

完全に密でしかないので、当分は開催が厳しいだろうが……


有名どころだと、まずはみかんの産地である。蛇口を捻ればみかんジュースが出る水道は、松山空港に常設。もはや観光スポットだ。

今治(いまばり)のタオルについては、わたしは日本一だと思っている。自転車でも今治から広島へ向かえるしまなみ海道は、景色がとても良いと評判である。

西条(さいじょう)にある、西日本で1番高い山・石鎚山(いしづちさん)。石鎚山からの流れで、西条のうちぬき水は日本名水百選にも選ばれた実力である。

新居浜(にいはま)にある、過去に銅山として栄えた跡地・東平(とうなる)は「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる。

他にも香川との県境にある四国中央市は、紙の名産地で有名だ。

県庁所在地の松山には道後温泉坊っちゃん列車松山城などがある。


今、思いついたものを並べてみただけだが、わたしの身近な東予ばかり挙げてしまった。

もちろん、中予にも南予にも、観光スポットは数多くある。興味があればぜひ調べてほしい。

ちなみに、南予の鯛めしは絶品である。きっと頬っぺたが落ちるはず!

 

愛媛の話はこの辺りまでにして、大学進学のときに高知を選んだ話をしよう。


高知を選んだのは、当時放映されていた大河ドラマ福山雅治氏主演「龍馬伝」の影響だった。

高知は愛媛の南部にあるものの、なかなか行くことがなかった。

当時、龍馬伝を見て土佐藩のこと、そして土佐弁のおもしろさを知った。


高知は愛媛から見れば山を隔てた反対側、というだけなのに、言葉が全然違っていた。

愛媛の方言だと、「何しているの?」は「何しよん?」というような言葉になるのだが、土佐弁では「何しゆうが?」になる。おもしろい。

ちなみに「~だから」は「~じゃけん」になるわたしの地元。高知では「~やき」になる。なんてかわいいのか。


最初は方言の勉強がしたいと思い、その大学を選んだ。

専攻はコロコロ変わってしまい、結局は知り合いの影響で法律を選ぶことになった。

しかし、母校はカリキュラムがかなり自由だったため、専攻外でも方言や日本語といった内容を勉強できたのは、収穫だった。

 

「失ってから、そのものの大切さに気づく」と言う。

今は名古屋市に住んでいる。四国に比べると、随分と便利な街に出てきてしまった。


その分、たまに地元が恋しくなる。しかし、まだ帰れない。

このもどかしさの解消方法を、いくつか考えた。


故郷の食べ物については、まずは親に頼む。特にわたしはじゃこ天が大好きで、八幡浜(やわたはま)産のものが1番だと思っている。何度も送ってもらった。

簡単なところでは、オンラインショッピングを使う。高知の好きなお酒は取り寄せた。ちなみに、美丈夫(びじょうふ)の柑橘系のリキュールがとにかく大好きである。

最近では、ふるさと納税も覚えた。先日、高知のカツオが届いてウキウキだ。タレではなく塩で食べるのがあっさりしていて、最高においしいのだ。


旅程を立てる。行きたいところをピックアップする。宿を探す。

お金を貯める。痩せる。次の旅行までの準備をすることで、モチベーションを保つ。


先日気づいたのは、Googleマップの楽しさだ。

ストリートビューという機能で、地元を探す。実家や母校も見つけられ、懐かしい田舎道を辿って感動した。

撮影されていたのは10年近く前のものだったのだが、逆に自分の中の記憶が鮮明なのはその頃なので、懐かしい……! と感じることができた。撮影してくださった方に感謝である。


また地元の市役所広報からの、「オンライン帰省」という企画が楽しい。

昨年夏にも実施された覚えがあるのだが、懐かしい地元の風景を写真で見返せる。

今回は春ということで、地元の桜の名所や、各中学校の写真も載せられていた。特に中学校の写真は通っていた15年ほど前を思い出し、青春時代を彷彿とさせる。

 

四国は食べ物もお酒も美味しい。物価も安い。

自然も多く、観光には最適。見どころは本当にいっぱいある。

行ったことない方は、いつかぜひ行ってほしい。

気に入ってもらえる自信がある。


そして自分を育てた地元。

情勢が落ち着いたら、思いっきり四国を堪能しに行くのだ。

 

 

「好き」は人を引き寄せ、そして「好き」は立派な原動力になる

 

何かに熱中できることは素晴らしい、「好き」を大事に。

今ではそう言われることが多いが、高校生になるまでは好きなものを語ったり、「推し」のことを話したりするのはやめていた。

好きなものについて語ると、周りがそれを「オタク」と呼びたがる雰囲気があったからだ。


小学6年生の頃にいじめを経験しており、なるべくもう後ろ指を指されたくない。

周りに溶け込んだふうに見せるほうが、きっと自分のためなのだ。そう思っていた。

 

転機は今から12年前である。

高校2年生の頃、当時使っていたGREEというSNSの「いま、この本がすごい!」コミュニティーで、その名前を見つけたのがすべての始まりだった。


辻村深月

わたしの人生を変えた作家と言っても過言ではない。


その名前を知り、地元の図書館でデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』(講談社文庫)を借りて読んだときから、わたしの世界は広がっていった。

今や、我が家の本棚に全作が揃っている。


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ちょうど10年前、大学進学で高知市に住み始めた。

その頃にはGREEではなく、SNSmixiに切り替えていた。大学入学前にmixiで大学のコミュニティーに集い、そこから仲良くなった子と入学後に挨拶する……というようなものが流行っていた。


その年の12月くらいに、mixiの「辻村深月」コニュニティーで開催されるオフ会の存在を知った。

当時はまだ東京にも行ったことがなかったのに、マイミク(この響き懐かしすぎる……!)を頼って、何度も参加した。ちなみにこのオフ会は、東京・池袋開催である。

 

作家本人が来るわけでもない。ただただ、同じ作家が好きな人が集まり、「あのキャラクターは推せる」「このシーンがめっちゃ好き」と語るだけなのだ。

四国から、わざわざオフ会のためだけに上京する。片手に、自作の辻村深月スクラップブックを大量に抱えて。


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たぶん、そのギャップがおもしろがられたのだと思う。

大人たちに可愛がられ、サイン会や遊びにも連れて行ってもらった。


そう、これだ。

高校時代までのわたしが、周りからの目を怖がってできなかった、「好きなものについて語り合う」ということ。

東京へ行けば、同じく辻村深月好きの、謂わば「同志」たちと語らうことができたのだ。

とても、嬉しかった。


辻村深月さんのサイン会へ初めて参戦したのは9年前。相変わらずマイミクたちが誘ってくれた。場所はルミネ横浜の有隣堂

 

サイン会待ち列の時点で、めちゃくちゃ緊張した。

憧れの人にスクラップブックを見せて、辻村作品に登場したキャラクターが持つボールペン(現在は販売中止)と同じものを持参し、それでサインを書いていただいた。

そのおかげか、サイン会の初回で認識していただいた。鮮烈なサイン会デビューだった。

 

そのあと、サイン会や講演会にも何度か参加した。

何度もファンレターやお誕生日プレゼントを、出版社気付で贈っていた。


ファンレターやお誕生日プレゼントを贈るのは、『スロウハイツの神様』(辻村深月著/講談社文庫)という小説に影響されている。

現代版トキワ荘とも言える、クリエイターたちが暮らすアパート・スロウハイツが椎名町にある。その202号室には中高生から絶大な人気を誇る小説家、チヨダ・コーキが住んでいる。彼の小説を読んで育った、脚本家や画家の卵、映画監督の卵などが、夢を叶えるために切磋琢磨する。そんな青春群像劇の物語。


冒頭、チヨダ・コーキの熱狂的なファンが、小説を模倣して殺し合いの事件を起こしてしまった。その事件のせいで責任を取るように世間から言われ、一時筆を置くことにしたコーキ。彼を救ったのは、128通の手紙を送った女子学生だった。


この小説を読んだからこそ、ファンからの手紙の力を信じている。

好きですとしか言えないけれど、これからもその気持ちは大声で叫んでいく。

 

この間、夢のようなことが起こった。

先日文庫化された『かがみの孤城』のサイン本が、辻村深月さんご本人から送られてきたのだ。あのときの感動は一生忘れられない。


サイン本とお手紙を手にして、そしてこのライティング・ゼミを受講しているうちに、本気で憧れの人がいるあの世界を目指そうと思ってしまった。


やはり大きな影響があるのは、前述の『スロウハイツの神様』である。

この作品の魅力はいくつもあるのだが、特に登場人物が夢を追いかける姿にある。


「自分にとって何が武器になるのか。それを考えて、小説を書いて、漫画を描いて、必死に世界と関わろうとしてる。これが自分の武器なのだと考え抜き、これで訴え掛けることができないんだったら、本当に自分の人生はどうしたらいいんだって、一生懸命なのよ。世界に自分の名前を残したい、そう夢見てしまった以上は、と今日も机に齧り(かじり)ついている」


ライティング・ゼミを受講しながら、文章を書きながらいつも思い出すのは、この言葉だ。

世界に自分の名前を残すことの重みを感じる。

この小説は戦友であり、わたしの指針にもなっている。


「好き」が人を引き寄せた過去。そして今はライティングの原動力。

胸を張って、これからも「好き」を伝えていく。

 

遠くから見守っていることも、優しさであり愛なのかもしれない

「優しさ」って何だろう。

数年前から、わたしはこのことを考えていた。


「好きな人のタイプは?」と聞かれ、「優しい人!」と答える人は多いだろう。

「彼氏はどんな人?」と聞かれ、「優しい人かなぁ」と答えていても、結局別れるときには優しさって何だっけ……という状況になることが多かった。


皆さんには、そういう覚えは無いだろうか?

無いならそれに越したことはないだろうが、わたしが10年間考えていたことを書いていく。


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大学1回生の夏、親友がわたしにこう告げた。

「見る目を養え、冷静になれ、がっつきすぎるな、優しさの意味を考えろ」


当時、わたしは短期間で付き合っては別れてを繰り返していた。人と付き合うことで長続きができなかった。

それをすぐそばで見ていた親友は、心配になってこの4か条をわたしに突き付けてきた。


恋愛で失敗するたび、彼氏と別れるたびに、この4か条を思い出していた。


この4か条の中でも、「優しさの意味を考えろ」のところが特に難しい。

見せかけの優しさがわかりやすく、信じやすい。実際、何度も同じことをした。

その経験があってこそ、いまの自分があるのだろうとは思うのだが。

 

なぜ今回、そんなことを書こうと思ったかといえば、同じく大学時代に1年半ほど付き合った人の存在が大きい。

別れたあとはいまも、たまに連絡を取り続けている男友達だ。


世間的に見れば、別れたあとに連絡を取り続けるなんて……と思われそうだ。

しかし知り合ってからもう10年近く経っており、ある程度わたしのことは知っている。

元カレという未練がある関係というより、頼れる兄貴みたいなものだ。(同級生だけど)


その男友達と最後に会ったのは、もう5年前になる。

そのあとはSNSで薄く繋がっていただけなのだが、コロナ禍でうつ病になった頃に偶然、TwitterのDMで繋がった。


そこからはうつ病がひどい時期に話を聞いてくれたり、Zoomで好きなアーティストのライブDVDを一緒に鑑賞したりした。

間違いなく、うつ病を乗り越えるのに彼の力は必要だった。

 

4ヶ月の休職から明けて復職。

仕事の悩みも、その男友達によく相談した。


彼は、わたしの相談のときだけ返してくれる。

「基本はいつも、無関心だよ」と言いつつ、わたしには甘い。しっかり向き合ってくれる。

しかし言葉は甘くないし、甘やかすことはほとんどない。


少し前に、「怒るときにはどうしたらいいのか」という相談をした。

わたしは、怒ることが苦手だ。

普段は平和主義で、なるべく穏やかに生きている。

そのため、仕事で怒る術をほとんど知らない。

別れ話で悔しいことがあっても、結局怒れずに、感情があふれて泣いてしまうことがほとんどだった。

そのあとは逆に怒られる場合はどうすればいいのか、という相談もした。


これらは今年1年かけてじっくり考えていく課題だが、それでも考え方から彼の本質が少し掴めたように思う。

そして付き合っていた頃よりもむしろ、心の中で近づけた気もする。


そのとき、こうやって遠くから見守ってくれることがすでに優しさであり、極論を言えば愛なのかもしれないとすら思ったのだ。

 

わたしの好きな小説に、千早 茜さんの『男ともだち』という作品がある。

主人公の神名はイラストレーター。同棲中の彼氏がいて、不倫もしている。

そんな中、大学時代の先輩・ハセオと再会するのだ。

ハセオとの再会で、神名の生活に変化がもたらされる……という物語である。


イラストレーターの仕事をしている中で、自分が描きたいものが何かわからなくなっていた神名。

深い迷いに入った神名だったが、ハセオと接する中で一筋の光を見出す。


どうしてもこのような作品だと、男女の関係になって友情がもつれる……と思いがちだったのだが、それが無いのが個人的にはとても好みだ。

男女の友情なんてありえない! という方にこそ、ぜひ読んでほしい小説である。


この『男ともだち』の中で終盤、神名がハセオにこう聞く。

「ねぇ、ハセオにとっての愛情ってなに?」

「そうやな、見ててやることかな」


先日久しぶりに読み返していて、まさにこれだ……! と感じたのだ。

 

見ててやること。見守ること。

それは相手にすることを放棄しているのではなく、優しさの形なのだろう。


男友達を通じて、優しさの意味を考えることができたのだ。

結局、冒頭の4か条のときから10年かかってしまったが、なんとかしっくりする答えを見つけたのだ。自分を褒めたい。

 

恋愛に悩んでいる人がいらっしゃれば、ぜひわたしの親友からの4か条について考えてみてほしい。


あなたにとっての、優しさの意味はどんなものだろうか?